大阪地方裁判所 昭和42年(ワ)1522号 判決 1968年4月25日
原告
超南祚
被告
神並邦夫
主文
一、被告は原告に対し金三、四五九、二六三円及びこれに対する昭和四〇年三月一〇日から支払済迄年五分の割合による金員を支払え。
二、原告のその余の請求を棄却する。
三、訴訟費用は五分しその二を原告のその余を被告の各負担とする。
四、この判決第一項は仮りに執行することができる。
五、但し被告において原告に対し金二、八〇〇、〇〇〇円の担保を供するときは右仮執行を免れることができる。
事実及び理由
第一申立
被告は原告に対し金五、八一九、三〇三円及びこれに対する昭和四〇年三月一〇日から支払済迄年五分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は被告の負担とする。
との判決並びに仮執行の宣言。
第二争いのない事実
一、本件交通事故発生
発生時 昭和四〇年三月一〇日午後一一時四〇分頃
発生場所 大阪市西成区西萩町一一番地先交差点
現場は幅員二七・四米の南北道路(国道二六号線)と幅員五・七米の東西道路との交差点で信号機が設置されている。
事故車 小型四輪自動車 泉四す一〇五一号
右運転者 安野憲幸
受傷者 原告(第二種原動機付自転車運転)
態様 本件交差点において西方から東方へ直進しようとした原告と、南方から北方へ直進しようとした事故車が衝突して原告は転倒した。
二、事故車の運行供用と安野の雇傭関係
被告は事故車を所有し、安野憲幸を雇傭して葬儀業を営んでいた。
第三争点
(原告)
一、被告の帰責事由
(1) 第一次的主張
被告は第二の二の事実に基ずき自賠法三条による運行者責任を免れない。
(2) 第二次的主張
被告は第二の如く安野を雇傭して葬儀業を営んでおり、本件事故当時安野は被告の業務執行中であり、本件事故は安野が事故車を時速三〇粁で運転して南北路を北進し本件交差点に差しかかつた際、対面信号機が赤色「止まれ」を表示していたにも拘らず、飲酒していて同信号を無視して前記速度のまま交差点に進入したため発生したものであるから、被告は民法七一五条に基ずく使用者責任を免れない。
二、原告の損害
(1) 受傷及び後遺症
本件事故のため両下腿部打撲擦過傷、頭部打撲傷の傷害を受け事故後昭和四〇年八月一二日迄治療を要し、その後右頭部打撲による頭部外傷後遺症、頸椎捻挫後遺症が発生したゝめ同年八月一三日から現在迄右治療中である。
(2) 診療費
前記診療費として昭和四〇年七月二二日から同年八月三一日迄に七、二九五円、同年九月九日迄に二七、七三〇円、同四二年二月から同年三月二八日迄に一一、八二二円合計五九、三〇三円(五九、二六三円の違算)を支出した。
(3) 休業損
原告は本件事故当時製靴業を営み、一ケ月平均一四〇、〇〇〇円を下らない収益を得ていた。即ち、昭和三九年九月から同四〇年二月迄の六ケ月間における製品売上高は合計四、三一八、六〇〇円であるが、これから原料代等経費を控除した残存純利益は売上高の二割を下らないから一ケ月あたり平均一四三、九五三円の収益を得ていたものである。
原告は本件事故による前記受傷のため事故後現在迄右製靴業を営むことが出来ず、従つて少くとも事故後二年間一ケ月一四〇、〇〇〇円宛合計三、三六〇、〇〇〇円の得べかりし利益を喪失した。
(4) 慰藉料
原告は前記の如き後遺症のため著るしく労働が低下し思考作用が減退し将来右後遺症が完治する見込はほとんどなく、又前記の如く製靴業を営業出来なくなつて収入の途を失いこれを再開し得る日途もたたない状態で生活に対する不安も大きい。原告のこれら精神的苦痛に対する慰藉料は二、四〇〇、〇〇〇円に相当する。
三、本訴請求
以上により、原告は被告に対し右二(2)ないし(4)の合計五、八一九、三〇三円及びこれに対する本件不法行為発生の日である昭和四〇年三月一〇日から支払済迄年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(被告)
一、安野は本件事故当時被告の業務終了後被告に無断でその意思に反し被告方の車庫から事故車を持ち出し、同人の用途のため同車を運転していたものであるから、被告は事故車の運行に対し支配権を有せずその運行による利益も帰属していなかつたし、使用者責任も存しない。
二、被告はその被用者である安野の選任及びその事業の監督につき相当の注意をしていたものであるから、使用者責任はないものである。
三、原告は第二種原動機付自転車を運転して本件交差点に差しかかつた際、前方及び側方を注意警戒せずに交差点に進入したため本件事故の発生をみたのであるから、原告にも本件事故発生について過失があつた。よつて損害額の算定にあたりこれを斟酌すべきである。
第四証拠 〔略〕
第五争点に対する判断
一、被告の帰責事由
被告が事故車を所有し、事故車運転者安野を雇傭して葬儀業を営んでいたことは当事者間に争いがない。
そこで安野が無断運転していたか否かについて判断すると、〔証拠略〕によれば、本件事故当時被告はその営業のため所有・使用している車両は事故車を含め二台であり、被告方一階は事務所二階は居宅となつていて事故車は隣接する空地に、そのエンジンキーは事務所の机の抽斗中に各保管してあり、安野は運転手として雇傭され事故車の運転に専従しており被告の妹婿であること、事故当日安野は午後五時過ぎ頃仕事を終え午後九時頃被告方へ赴いた際被告が不在であつたため他の従業員に車を借り出す旨述べただけで私用のため右事務所机の抽斗からエンジンキーを持ち出し事故車を運行したが、事故前にも被告の許可を得て私用のため事故車を運行したことが度々あつたことが認められる。
右事実関係に基けば、安野は被告の妹婿であると共に従業員でありしかも普通事故車を運転することをその担任事務としていたものであるから、本件事故当時同人が被告に無断で私用のため事故車を持ち出し運転したとしても数時間後には事故車は安野から被告に返還されることが当然予定されている関係にあつたものであり、従つて安野の右無断運行によつて被告の有する一般的な事故車に対する運行の利益及び支配が排除されたものとは認め難く、被告はその間依然として事故車を自己のために運行の用に供するものとしての地位を失うことなく持続していたものと言わなければならない。
よつて被告は自賠法三条に基ずく事故車の運行者責任を免れない。
二、原告の損害
(1) 受傷及び後遺症
〔証拠略〕によれば、原告はその主張の如き傷害を受け、後遺症が残存し各治療を受け及び継続していることが認められる。
(2) 診療費
〔証拠略〕によれば、原告はその主張の如き傷害を受け、後遺症が残存し各治療を受け及び継続していることが認められる。
〔証拠略〕によれば、診療費として昭和四〇年七月二二日から同年八月三一日迄に七、二九五円、同年九月二四日から同年一二月一七日迄に一二、四一六円、同四一年三月四日から同年九月九日迄に二七、七三〇円、同四二年二月から同年三月二三日迄に一一、八二二円合計五九、二六三円を支出したことが認められる。
(3) 休業損
〔証拠略〕によれば、原告は本件事故当時従業員一四・五人を雇傭し原告の妻である笠木テルと協同して製靴業を営み、これによる昭和三九年九月から同四〇年二月迄六ケ月間の製靴売上高は四、〇六一、六五〇円で一ケ月平均六七六、九四一円(円未満切捨以下同じ)であり、原料購入費、従業員賃金等経費控除後の純益は売上高の二割を下らなかつたが、原告は主として経営方針の決定、従業員の監督、皮革の裁断及び製品の得意先への配達等にあたり笠木テルは主として仕上げ工程に従事していたことが認められるので、右事実からすれば原告一人の収益は少くとも一ケ月一〇〇、〇〇〇円を下らなかつたものと推認されるところ、〔証拠略〕によれば、原告は事故後前示受傷のため右営業を休業し廃業しなければならなくなり、その後も前示後遺症のため少くとも昭和四二年三月迄稼働し得なかつたことが認められるので、原告は少くとも事故後昭和四二年三月九日迄二四ケ月間一ケ月一〇〇、〇〇〇円宛合計二、四〇〇、〇〇〇円の得べかりし利益を失なつたものと認められる。
(4) 慰藉料
〔証拠略〕によれば原告主張の如き事実が認められ、これら事実及び本件全証拠によつて認められる諸般の事情を斟酌すると原告に対する慰藉料は一、〇〇〇、〇〇〇円をもつて相当と認められる。
三、過失相殺の抗弁に対する判断
被告主張の、原告は第二種原動機付自転車を運転して本件交差点に差しかかつた際、前方及び側方を注意警戒せずに交差点に進入したとの事実は本件全証拠によるもこれを認めるに足りず、他に原告の過失を認めるに足りる証拠はない。
四、結論
以上により、被告は原告に対し右二の(2)ないし(4)合計金三、四五九、二六三円及びこれに対する本件不法行為発生の日である昭和四〇年三月一〇日から支払済迄民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべく、原告の被告に対する本訴請求は右の限度で正当として認容し、その余の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、仮執行並びに同免脱の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 亀井左取 谷水央 大喜多啓光)